時ソバがわかる人は時代劇通だね~~・
有名な落語で時蕎麦という話があります。
ある晩のことです。
屋台のソバ屋が営業しているところに、やけにおしゃべりな客が訪れます。
客は店主にしっぽくソバを注文し食べる間中何かしゃべっています。
変える段になり料金はいくらだと問いかけ、16文だと言われると、細かいから手を出しな店主に言います。
店主が手を出すと「十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻(なんどき)だい?」
「エー、ここのつ(九刻)で。」
「とお、十一、十二、十三、十四、十五、十六・・・じゃ、あばよー。」
男は立ち去りました。
店主に「九つ」といわせ1文、ごまかした計算になります。
それを見ていた男がしゃべり続けた男に感心していたのですが。
そのまねをしている間に1文ごまかしたのに気が付きます。
すると、その男はおもしろがって自分も真似してみようという気になって実際やってみるのですが「十六文だったな?ひー、ふうー、みー、よー、いつ、むー、なな、やー、何刻だい?」
「へー、四刻(よつ)で。」
「いつ、むー、なな、やー、ここのつ・・・」と見事失敗してしまいます。
個々の違いが分かるでしょうか?
最初の男が店主に聞いた時刻は「九つ」です。
真似をした男が店主に聞いた時間は「四つ」です。
この時間の違いが判るでしょうか午前0時、昼の12時は九つです。
そこから八つ(おやつの八つです。2時)、七つ(お江戸日本橋七つ立ちの七つで4時)、六つ(6時)、五つ(8時)、四つ(10時)と来て、また九つに戻ります。
現代の時間と数字が会うのは六つの6時だけです。
時ソバの場合最初の人が食べた時間は晩の九つと言っていますが実際は夜の0時という時間です。
それで真似をした人が食べたのが夜の10時と言う事になります。
現代の時間でいうと2時間の違いですが九つと四つという言い方ですから現代人から見るとずいぶん離れた時間のように思えてしまいます。
江戸時代の時間的概念が頭に入っていて感覚的に考えられる人は「時ソバ」という話非常に面白いのですが、たいていの現代人はなぜ面白いのかわからないまま笑っているというのが本当だと思いまあす。
なお江戸時代の
一刻(いっとき) ーー> 2時間
半刻(はんとき) --> 1時間
四半刻(しはんとき)-->30分
後、子丑寅宇辰巳馬未申鳥戌亥の12支で24時間を表すのと両方覚えれば完璧です。
ただ勘違いしやすいのは子の刻は0時から2時ではなく23時から1時までの2時間だと言う事です。
寅の刻は4時から6時ではなく3時から5時だと言う事です。
小説の場合は五つ刻は8時だという注釈が付くでしょう。
しかしテレビドラマではそんな説明は入りません。
テレビを見る時にこの時間概念が身に着いていると非常に面白いのです。
それは同じドラマ同じ小説を読んでいても他の人と完全に違う世界を楽しめるということなのです。
ただですね、時ソバを聴いてまた新たな疑問が出てきてしまいました。
1)町内の木戸は夜の4つでしまってしまいます。
2)しっぽくソバおそらく16文では食べられない。
3)16文はかけソバ
こんなことに気がついてしまいました。
町内ごとの木戸が閉まっても移動は可能ですが、メンドクサイですし、岡っ引きなどの夜回りと出くわすと止められてすぐには開放してしてくれそうもないと言う自体になる可能性があります。