江戸時代は刑務所はなかった。
江戸時代刑務所はなかったというと今テレビでやっているやつは牢屋がでてくるじゃないと言われそうです。
現在(2017年5月)NHKでBS時代劇「立花登青春手控え2」というものを放映されています。
藤沢周平の「獄医立花登手控え」が原作であって2016年にシリーズ1が放映されました。
主人公は東北の商藩出身の若い医者で江戸で医師をしているおじさんを頼って江戸に出てきたものの、小伝馬町の牢獄の当番医を押し付けられて牢の中の囚人たちとのやり取りから事件を解決したり成長してゆくというお話なのです。
つまりそこには牢屋があり囚人と呼ばれる人たちがいるわけで、そこは現代でいう刑務所と同じと思っている人もたくさんいるのではないかと思います。
しかし、そう思い込んでいる人には残念なのですが、小伝馬町の牢に入っている人のほとんどは未決囚、つまりまだ刑を言い渡されていない人なのです。
刑を言い渡されると小伝馬町の牢からは出ていきます。
小伝馬町の牢屋敷は牢奉行である石出帯刀が代々管理していて名前も世襲していきますからいつの時代でも石出帯刀さんが奉行さんです。
では今の刑務所にあたるものは何でしょう。
どこにあるのでしょうか。
それは聞いたことがありません。
つまりないのです。
武士の場合、永蟄居というものがあり自宅が無期限の刑務所のようなものになったりしますが町人の場合刑務所にあたるものはありません。
簡単にいうと江戸時代の刑罰は
1:死刑
2:遠島
3:追放
4:罰金
5:敲き
6:謹慎、預かり
このようなもので刑務所にずっと入れておいて監禁しておくという制度がないのです。
人を殺してしまっても情状酌量になり死刑にならなければ遠島になる。
島での生活も牢屋に入るわけではなく自給自足の生活をするということでかなりの自由だったようです。
ただ佐渡送りだけは別です。
金山堀りの労働力にされてしまいますから、大変だったと思います。
鬼平犯科帳で有名な鬼の平蔵、長谷川平蔵は実在の人ですが彼が江戸石川島に作ったのが加役方人足寄場と言われるものでこれも刑務所的なものではありません。
これは地方から江戸に流れてきた無宿者や軽犯罪を犯した犯罪予備軍に職業訓練をしようという施設です。
火付け盗賊改め方の長官として鬼の平蔵と言われた人は世界初と言われる犯罪防止プログラムを作った超頭のいい先駆者だったのです。
話がそれましたが江戸処払いと言っても江戸以外で普通に暮らしていいわけですから実質、江戸時代の刑罰は「死刑」か「遠島」と考えて間違いないと思います。
殺人は死刑
10両盗んだり、詐欺をしたら死刑です。
W不倫は死刑
放火も死刑。
現代より死刑がめちゃくちゃ多いわけですが、南町と北町のお奉行様が独断で死刑を言い渡すわけではありません。
死刑を言い渡すためには老中の許可、将軍の印が必要なのだそうです。
つまり御白州で背中の桜吹雪を見せて市中引き回しの上獄門に処するというような宣言は無しよ。
NHKでBS時代劇「立花登青春手控え2」を見る時は牢屋の中の未決囚と若手牢医師の話だと思ってみてください。
未決囚だからこそ刑が確定する前にまだ何かやれることがあるのではないかという話なのです。