参勤交代がもたらしたもの
Wikipediaによると参勤交代は「寛永12年(1635年)に徳川家光によって徳川将軍家に対する軍役奉仕を目的に制度化され、諸大名は一年おきに江戸と自領を行き来しなければならない」と書かれています。
最近の映画では「超高速参勤交代」、NHKドラマになった浅田次郎の「一路」が有名です。
「超高速参勤交代」は八代将軍吉宗の時、「一路」は十四代将軍家茂の時と時代はズレてますが自分の国の領地から江戸まで家臣を連れて参勤するのはとても大変なことでした。
最初の幕府の考えとしては諸大名を一年おきに江戸と自領を行き来させ徳川将軍家に対する軍役奉仕させたといいますが戦争がなくなった時代それぞれの大
名の参勤交代は「格のメンツ」に拘った参勤交代になっていったと思われます。
江戸幕府でさえ家康、秀忠と一生懸命貯めこんだ幕府の財産も三代将軍家光の時代にはも江戸城の天守閣を何回も建てたり、日光東照宮を造営したり、そして島原の乱などで浪費してしまい明暦の大火後は火事で焼けてしまった江戸城天守の再建も出来ないくらいつかってしまったのです。
家光には財政意識というものは乏しかった後思います。
幕府の官僚たちは地方の外様大名に金を使わせることを意識していたかもしれませんが大名たちにとっては他の大名に行列の立派さで負けたくないという意識の方が勝ち費用をかけた大名行列になっていったのだと思います。
幕府は最初の考えとは違い各大名は出来るだけお金を使わないように努力するようお触れを出したとも言います。
特に八代将軍吉宗以降幕府の考えは倹約、倹約でしたから大名行列の「格式争い」など喜ばなかったと思います。
その参勤交代による大名行列は幕末近くまで行われました。
その参勤交代制度は日本の国にいくつかのメリットをもたらしました。
それを、歴史の教科書では取り上げてないと思います。
そこの所は冷静に取り上げるべきです。
1:日本全国津々浦々の街道が整備された。
日本には300からの大名がいます。
その大名が江戸まで参勤交代するのですから街道は自然と整備されます。
交通インフラの整備です。
2:各宿場にお金が投資された。
当然、大名が宿泊する宿場町には本陣が作られ、商店、駅が整備された。
足りない労働力を確保するため地元の労働力も使われた。
大名行列の経費が全国的にばらまかれたといえるでしょう。
3:通信連絡網の整備。
飛脚の全国的整備が進んだ。
国元に帰る武士たちが都会の情報を地方にもたらした。
4:地方の物産を江戸や大阪の都会に運ぶルートができた。
運送業も発達した。
造船、海運業の発展。
5:ものが都会に集中するルートができた。
人も物も都会に集まるようになって来た。
飢饉のときに難民が都会に行きやすくなった。
百万都市江戸を作る原因となった。
6:地方にも都会の文化が伝わった。
国元に帰る武士、中間たちが江戸の文化をお土産に持ち帰った。
7:為替制度が発達し日本全体の経済の均一性が進んだ。
明治以降の銀行制度の土台となる制度ができていた。
8:江戸の人口の男女比率が極端に男性が多くなった。
遊郭の発展。
8はメリットとは言えませんが吉原に落ちるお金は莫大で経済を支える一助となったのは確かかもしれません。
どうでしょうか参勤交代による交通インフラの整備が日本全体に経済的発展をもたらしたのは間違いありません。
残念ながら当時の技術では基金を封じ込めることはできませんでしたが、地方で食えなくなった難民が都会に働きに出やすくなったのも確かです。
飛脚制度の発達は当然全国的な情報網の整備にほかなりません。
地方の知識人はみな江戸の出来事など知っていたし、アヘン戦争なども知っていました。
こういった先進的ちょんまげ国家のきっかけを作ったのが参勤交代制度ともいえると思います。