江戸の屋台の蕎麦屋はすごい
時代劇が好きです。
本当は歴史はなんでも好きなのですが、時代劇というと小説やドラマに絡んで面白味が深まります。
テレビドラマを見ていると江戸の町人は良く蕎麦(ソバ)を食べます。
二八と書いてある蕎麦屋です。
二八とはよく見かけるのですが江戸時代のほとんどの期間蕎麦の代金は16文だったと言われています。
江戸時代270年近く物価の変動はかなりあったはずなのですが、ず~っと16文だったそうです。
これは結構すごいことだと思うのですが江戸時代の物価の変動を知らないから、そんなものかと流してしまいます。
蕎麦は江戸っ子の基準飯だったのでしょう。
二八と名前を付けた以上、意地でも二×八=16文を守るというのが江戸の蕎麦屋の粋だったのでしょう。
二八にはもう一つの説があります。
蕎麦粉が8割、小麦粉が2割、それで二八蕎麦と言う。
話としてはもっともな気もしますが蕎麦粉10割の十割蕎麦もありますから比率が語源というのは完璧な説ではありません。
両方ひっかけたとしても二×八=16文の方は譲れないところでしょう。
でも考えてみれば屋台の蕎麦屋さんはすごいですよ。
屋台を担ぐにせよ、引くにせよ、非常に重いです。
汁や、陶器のどんぶりや、火鉢や現代のように軽くコンパクトと言う分けにはいきませんから。
蕎麦そのものだって専門の蕎麦打ち屋さんに作ってもらい仕入れるのでしょうか、それとも自分で朝のうちに作って持って出るのでしょうか、両方だと思いますが朝早くから働かないとうまくいきません。
それに江戸時代の人って日本の歴史の中で比較的小さいのですよね。
そういった人たち、軽トラなどない時代の人たちが人力で運び販売するのです。
江戸時代のファーストフード屋台の蕎麦屋、改めて江戸時代の屋台の蕎麦屋さんはすごいと言わせてください。